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予告編

イントロダクション

パンデミックの中、
アート
について考えてみた

パンデミックの中、
アート
について考えてみた

本作を監督した山岡信貴は縄文文化にハマる8年間を過ごす中、いつしか「アート不感症」に陥っていた。美術館やギャラリーでアート作品に接しても何も感じない。何を面白いと思っていたのかすらわからない状態。これは一体どういうことなのか?

そんな中、全世界的なパンデミックが始まり、日本全国で不要不急が叫ばれ、美術館をはじめとするアートの現場の閉鎖が相次ぐと、アートの存在意義についてさまざまな意見が飛び交い、時にはアート不要論も叫ばれるようになる。

そんな世間の流れとシンクロしつつ、アート関係者30名以上への取材を行い、日本人にとってアートとは何なのかについて考察する旅が始まった。

本作は2部構成となっており、「Session1  惰性の王国」と「Session2 46億年の孤独」を分割しての公開となる。アートの意味を探る「Session1」を体験した目で現実を見つめ直した後、「Session2」でアートの枠組みを超えて人間に本当に必要とされる「アート的なもの」は何なのかを構築し直すことで、より深く本作のテーマが体感できる構成となっている。

アート:

1 芸術。美術。「ポップ—」

2 「アート紙」の略。

(デジタル大辞典より)

Session1

惰性の王国

アートはどこで道を踏み外したのか

アートはどこで
道を踏み外したのか

「越後妻有大地の芸術祭」はなぜ世界有数の芸術祭となったのか?「あいちトリエンナーレ2019」で見えてくる日本におけるアートの現状は?また、パンデミックの中、ドイツでは「アートは生命の維持に必要不可欠」と言われているとの報道に、色めき立つ日本のアート関係者も多かったが、それは果たして日本でも同じだと言えるのか?

これらの出来事と並行して、20世紀アートの頂点と言われるマルセル・デュシャンの「泉」(小便器にサインしただけのレディメイド)とは何だったのかを見つめ直しつつ、デュシャンとの親交も深く、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で日本人初の個展を開くにまで至った荒川修作がなぜアートを完全に捨てるに至ったのかを検証し、アートの限界を見極めていく。

Session2

46億年の孤独

壊れているのはアート? それとも人間?

壊れているのはアート?
それとも人間?

アートに限界があるならそれはどこから産まれ、それをどのように超えることができるのかを探る旅。

アートセラピーにおける絵画の役割にはじまり、過激な身体改造によって回復される人間性やハチと話をしながら共同で奇妙な造形物を創りつづける蜂研究家、さらには自意識を持った人工知能が作るアートの可能性など、アートからはこぼれ落ちてしまった「いる」「いらない」を超えたものたちが作り出す未知の世界。これは失われてしまった別のアート史か?あるいはアートを破壊してしまうものなのか?

ラスコーの洞窟壁画以来、アートが本来持っていた”わかりえない他者とのコミュニケーションツール”という本質と見つめ合うことは、500万年の人間の歴史の再起動を意味することになるのかもしれない。

映画の中からピックアップ

出演者の発言集

倉本美津留

放送作家

笑いとアートの差なんて
そんなにないやんけ

北川フラム

アートディレクター

小学校に入っている子供たちの
3分の1ぐらいが美術が嫌い

津田大介

ジャーナリスト

あいちトリエンナーレの参加作家の男女比が
「6:4でものすごく多いですね、女性が」
って聞いたとき、僕は「ん?」って
引っかかったんです。

あいちトリエンナーレの参加作家の男女比が「6:4でものすごく多いですね、女性が」って聞いたとき、僕は「ん?」って引っかかったんです。

本間桃世

アラカワ+ギンズ東京事務所

思想哲学がある建物ってお金は生まないんだな

人工知能美学 芸術研究会

草刈ミカ

AIがもっと汎用的に賢くなっても
芸術家は最後まで残ると言われているけど、
わたしたちはそれすら疑ってて

AIがもっと汎用的に賢くなっても芸術家は最後まで残ると言われているけど、わたしたちはそれすら疑ってて

中ザワヒデキ

芸術はもともと不要なんだから
一層不要になるだけなんじゃないの

この映画をよく知るための

キーワード

マルセル・デュシャン
(1887-1968)

フランス出身の美術家(1955年、アメリカ国籍を取得) 既製品を芸術作品としてそのまま用いるというレディメイドの発案者として知られ、油彩画の制作は1910年代前半に放棄。チェスの名手としても知られた。

『泉』

小便器を倒し、”R.Mutt”という署名をした、マルセル・デュシャンによる作品。1917年の『ニューヨーク・アンデパンダン』展にて無審査で展示されるはずが拒否され現在も行方不明。20世紀のもっとも影響を与えたアートの1位にランキングされることも多い。

荒川修作+マドリン・ギンズ

アーティストから後にコーデノロジストを名乗り、科学・芸術・哲学の統合を目指した。日本人で初めてニューヨークのグッゲンハイム美術館で個展を開くが、コーデノロジストになってからは絵画を一枚も描くことはなく、アトリエにさえ出入りしていない。代表作『意味のメカニズム』『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』『養老天命反転地』『三鷹天命反転住宅』

『遠近を抱えて』
(1982-1985)

大浦信行氏による全14点の版画連作。大浦氏の自画像として制作されたが昭和天皇の肖像を使用していたことから富山県立近代美術館で問題となり、同館では非公開が決定。作品が掲載された図録も焼却された。その後も議論を起こし続けている。さらに大浦氏は自身の映画作品のコラージュ映像を作成し、『表現の不自由展・その後』で『遠近を抱えてpartⅡ』として展示。『遠近を抱えて』を焼却するシーンが昭和天皇の肖像を焼いたという表現を用いて広がり、あいちトリエンナーレ2019での『表現の不自由展・その後」閉鎖の一因となった。

「ハチ博物館」

長野県中川村にある、蜂研究家の富永朝和氏による博物館。展示内容は通常想像される博物館とは大きく異なり、富永氏と蜂の共同作業による蜂の巣の作品が展示されている。特に世界最大の蜂の巣は、通常1匹でしか巣を作らない女王蜂に共同作業をさせることで作り上げた世界でも珍しいもの。富永氏によるとこれら全ては”蜂と話ができるからなしえること”らしい。

自意識を持った人工知能

現在の人工知能には自意識がないと言われているが、将来的に自意識を持った場合の対応やその際の人工知能の権利について取り沙汰されつつある。ただし、今の技術では実現は不可能であり、シンギュラリティと人工知能が自意識を持つかどうかは別の問題である。

アーティストは生命維持に
不可欠

アーティストは生命維持に不可欠

2020年3月のコロナパンデミックが広がった直後、ドイツのモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは生命維持に必要不可欠な存在」と断言し、大幅なサポートを約束した。「アーティストのクリエイティビティは危機を克服するのに役立ち、未来のために良いものを創造するあらゆる機会をつかむべきである」との発言もあり、日本でもその言葉に勇気づけられた人は多かった。

カチーナ

ネイティブ・アメリカンの部族の一つであるホピ族(「平和の民」という意味)が信仰している精霊的な存在。困難な生活環境にあったホピ族を救うために現れたという伝承があり、今でも毎年の儀式の際にカチーナに扮したり、姿を形取った人形が贈られたりする。カチーナにはざまざまな姿があるが、ユニークなその造形には全て意味があり、自由奔放に作られたものではない。

縄文文化

およそ1万5千年まえから1万2千年前までの日本列島で1万年以上続いたとされる文化の総称。特に知られているのが土偶や土器の世界的にもユニークな造形であるが、なぜそのような形をしているのかについては解明されていない。派手な装飾のある土器も現在でいう美術品ではなく煮炊きの跡があり、生活用品として使われていたことから、生活と信仰が密着していた文化状況が予想されると言う説もある。

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キャスト

相馬千秋

アートプロデューサー

工藤安代

アート&パブリック協会理事

倉本美津留

放送作家

北川フラム

アートディレクター

津田大介

ジャーナリスト

平芳幸浩

京都工芸繊維大学教授

天川彩

作家/プロデューサー

小林國雄

小林國雄

盆栽作家

工藤シンク

サイハテ村発起人

本間桃世

アラカワ+ギンズ東京事務所代表

小室弘毅

小室弘毅

関西大学准教授

大浦信行

大浦信行

映画監督/美術家

岡本有佳

岡本有佳

表現の不自由展実行委員

藤野一夫

芸術文化観光専門職大学教授

木田真理子

ダンサー

土屋日出夫

土屋日出夫

オリエント工業社長

靏久暢行

造形師

M.K.

M.K.

ドールメイク師

大澤瑞紀

ドールディレクター

富永朝和

蜂研究家

太田忠

太田忠

なまはげ館解説員

光島貴之

光島貴之

アーティスト

広瀬浩二郎

国立民族学博物館准教授

リー智子

リー智子

アーティスト

関野吉晴

関野吉晴

冒険家

鎌田東二

鎌田東二

宗教学者

ケロッピー前田

ケロッピー前田

ジャーナリスト

大川ふみ

大川ふみ

臨床心理士

郡司ペギオ幸夫

早稲田大学教授

人工知能美学
芸術研究会

アーティスト

佐治晴夫

佐治晴夫

宇宙物理学者

登場順、敬称略

ナレーション

町田 康

町田康

作家。1962年大阪府堺市生まれ。 20歳ごろより音楽活動を始め,後,小説に転じる。『きれぎれ』で 芥川賞受賞。『くっすん大黒』『告白』『ギケイキ』など著書多数。 近著に『男の愛 たびだちの詩』『ふたつの波紋』(伊藤比呂美氏との共著)など。 「宇治拾遺物語」の口語訳なども手掛ける。

スタッフ

影からの声

椹木 野衣

美術批評家。 山間の秩父に生まれ、京都の同志社で哲学を専攻。 のち東京に移り、1991年に最初の評論集『シミュレーショニズム』(1991年、増補版=ちくま学芸文庫)を刊行、批評活動を始める。 おもな著作に『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)、『戦争と万博』(2005年)、『後美術論』(2015年、第25回吉田秀和賞)、『震美術論』(2017年、平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞、いずれも美術出版社)ほか多数。 キュレーションした展覧会に「アノーマリー」(レントゲン藝術研究所、1991年)、「日本ゼロ年」(水戸芸術館、1999–2000年)、「平成美術 うたかたと瓦礫(デブリ) 1991–2019」(京都市京セラ美術館、2021)ほか、監修に『日本美術全集 19 拡張する戦後美術』(小学館、2015年)などがある。 1985年の日航機123便御巣鷹の尾根墜落事故を主題とする戯曲に「グランギニョル未来」(2014年)、福島の帰還困難区域で開催中の“見に行くことができない展覧会”「Don’t Follow the Wind」では実行委員を務め、アートユニット「グランギニョル未来」(赤城修司、飴屋法水、山川冬樹)を結成、展示にも参加している。

エンディングテーマ

「何」
SUPER JUNKY MONKEY

1993年にCBGB(NY)でライブを行ない、翌年インディーズでライブ盤をリリースしSONY RECORDSよりメジャーデビュー。国内・海外でライブを積極的に展開し、日本人で初めてMTVのジングルを制作、アメリカの音楽業界誌Billboardの表紙を飾り、同時代の日本のバンドに大きな刺激を与えた。1999年、活動休止。2010年、FUJI ROCK FESTIVALに出演。2015年、LIQUIDROOMでイベント開催。2019年、CLUB251で2daysイベント開催。 ≫YouTube  ≫Instagram  Facebook

監督

山岡 信貴

1993年に初長編映画「PICKLED PUNK」を監督。ベルリン映画祭ほか多数の映画祭に招待上映される。以後も実験的なスタイルを貫きながら定期的に作品を発表し続けつつ、携帯電話キャリアと共に視覚の心理状態への影響の研究やデバイス開発等、サイエンスの分野にも積極的に取り組んでいる。2013年にはロサンゼルスのIndependent film makers showcaseにて全長編作品のレトロスペクティブが開催された。
2010年からドキュメンタリー映画の分野にも進出し、「死なない子供、荒川修作」「縄文にハマる人々」「トゥレップ ー海獣の子供を探してー」などを発表。「縄文にハマる人々」と新作ホラー映画「センチメンタル」ではルミエール・ジャパン・アワード優秀作品賞を受賞する。

山岡監督からのコメント

「アートなんかいらないんじゃないっすか、以上!」と言ってればOKな世の中なんだと思いますが、アートに興味を持てなくなった自分が、じゃあそこでいう「アート」って何だろう?とか、「いる」とか「いらない」ってそもそも何?とか、立ち止まって考えてみた結果がこの映画です。「いらない」と思っているものを「いらない」と述べるためだけの映画なんて「お前が一番いらんがな!」と叱られそうですが、パンデミックでいろんなものが止まってしまった状況もあって生まれたものなので、人間というものの珍妙さを観察するには興味を持っていただけそうなものができたかなと思っています。

劇場情報

地 域

劇場名

公開日

東 京

2022年8月20日〜

福 岡

2022年9月

愛 知

近日上映

新 潟

2022年9月2日

映画「アートなんかいらない!」

2021年度作品 カラー DCP

上映時間

Session1: 98分 Session2: 88分

映倫G

制作:リタピクチャル

配給協力・宣伝:プレイタイム

文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業

©︎2021 リタピクチャル

SUPER JUNKY MONKEY

profile

Super Junky Monkey are a gutsy, innovative band of four Japanese women that began playing in 1991. Singer Mutsumi “623” Takahashi, guitarist Keiko, bassist Shinobu Kawai, and drummer Matsudaaahhh!!! released the first Super Junky Monkey album, the all live indie release “Cabbage,” in 1993. The album showed their unique and furious, yet fun, brand of jazz, funk and hip-hop-spiced grunge rock, which some compared to the Red Hot Chili Peppers and Rage Against The Machine. The band had serious chops as musicians, often playing intricate and sometimes odd musical parts, and had a dynamic front person in Mutsumi. The band and the album gained critical acclaim, which resulted in their second album, 1994’s “Screw Up,” being released by Sony, which did not in any way tame the band’s adventurous character or provocative lyrics, which were often in English. In 1993, Super Junky Monkey played CMJ’s Music Marathon in New York and went over quite well. In 1994, the then leading English language magazine in Japan, Tokyo Journal, named them “Band of the Year”. In 1995, the band released the EP “AIETOH” and played the Foundation Forum, a “hard music” convention held in LA, where they were perhaps
the most talked about band of the event. They also had their first American release in 1995. The band continued with Sony for two more albums, “Parasitic People” and “Super Junky Alien,” which were progressively weirder and wilder. They continued to split their time between the US and Japan, and in 1996 again played in New York. In 1997 the band was basically inactive.
However, things started to pick up again in 1998. They played dates in Japan with American all-woman punk band L7 and began recording demos. On Dec. 24, 1998, the band was to play their last show with the original line-up. To the shock and sadness of many, especially within the indie music community, Mutsumi died on Feb. 5, 1999; this was to be the end of the original lineup of Super Junky Monkey.
A tribute to Mutsumi was held on May 9, 1999, and subsequently a retrospective album called “Songs Are Our Universe” was released on 3rd Stone Records.
On June 20th, 2009, 10 years after the death of Mutsumi, Keiko, Shinobu and Matsudaaahhh!!! played together on stage at the Liquid Room in Ebisu, Tokyo.
They played together again on Red Marquee Stage at FUJI ROCK FEST.2010, LIQUIDROOM Tokyo 2015, and Club 251 Tokyo 2019.

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